1951年4月 東京恵比寿に「佐野工房」として創業。レタリングを主に屋外広告業を営む。
1961年12月 株式会社エムエスアートとして法人改組する。
1950年代~1970年代 1954年に国鉄の「鉄道掲示器規定」が定められ、書体が楷書体から丸ゴシックへと変った時に株式会社新陽社の下請け文字デザイナーとして当社社長の佐野稔が登用される。
佐野の丸ゴシックは非常にスマートなもので、文字の重心を下げて懐を大きくとり、平仮名の曲線が特に美しいとの評価をうけ、国鉄ではコンペの結果、国鉄のサイン文字に最適としてこの文字が採用となる。
1960年に国鉄の規定が改訂され、書体はスミ丸ゴシック(角ゴシックの線の末端部や角にわずかな丸みのついた書体)へと変わる。
のりば、のりかえ案内のほか駅本屋に掲げる駅名標や駅長事務室、旅客運賃精算所、遺失物取扱所、洗面所といった文字も書き、時刻改正の時は駅へ行って時刻表も書いたりした。
佐野一人の体制では限界があるため、自分と同じ文字の書ける社員を養成して各駅に派遣することとなった。
この手書き文字は次第にエリアを広げて、釧路、旭川、札幌、青函、盛岡、秋田、仙台、水戸、千葉、東京(南・西・北)高崎、新潟、長野、静岡局管内の全駅と名古屋、天王寺局の一部の駅、さらに東急、東武、営団、都営地下鉄といった私鉄、公営交通にも“国鉄文字”が進出した。
このように1950年~1970年代はレタリングを主な生業とした時期と言える。
1980年代 社内生産体制は次第に変化し、レタリングに代わりスクリーンプロセス(シルク印刷)を主体とした企画~デザイン~写植~版下~写真製版~刷版制作~印刷までの自社一貫生産体制を確立する。
その後、シート加工部門もカッティングマシンを導入し社内生産体制となる。
現在では使用を取り止めたが、当時としては珍しかったCADシステムを導入し作図分野の向上をはかり、クロマリンカラーディスプレイシステムを導入し新分野の開拓発展を目指したのもこの時期である。
1980年に再び国鉄の規定が変り、以後のサイン類の書体は角ゴシックの国鉄専用書体とすることになった。
一部の私鉄ではすでに写植文字を使っていたが、印刷用の「読む書体」を標識用の「見る書体」に拡大すると欠陥が目立つため、国鉄では専用書体の制作を佐野と林隆男氏、石川忠氏の3氏に委嘱し、国鉄全駅で必要とする約3500字の角ゴシック文字盤を制作していった。
こうして完成したのが「サインGB」で、国鉄では「JNR-L」と呼んだ。折から開業した東北新幹線、埼京線の全駅をはじめ、全国の国鉄駅の駅名標、案内標に採用され関西でも多くの駅に登場した。
一方、私鉄でもサイン専用文字を求める動きが高まってきて、それに応えて誕生したのが鎌田経世氏の「ゴシック4550」であった。
1987年に国鉄は民営化され、JR各社はサインに写植書体の「ゴナ」を採用したため「JNR-L」は短期間で姿を消すこととなった。
そのような状態となっても、JR東海では東海道新幹線、在来線の駅名標に限り「ゴナ」を使わず、佐野のスミ丸ゴシックを使用している。
これはJR東海の元社長の須田寛氏に国鉄時代からこの書体を高く評価していただいていた結果であり、一時は姿を消していた佐野の手書き書体は文字盤化して現在も使用されている。

msa
1990年代~現在 机上での定規等を使用した版下制作に代わり、パソコン(Mac)を使用したディスプレイ画面上でのデザイン及びデータの入力が主体となる。
歩行者系周辺案内図等のデザインおよびデータ作成、案内表示板の表示デザインからデータ作成まで。
表示の仕様も多様化してきたため、スクリーンプロセス(シルク印刷)、マーキングシート加工、インクジェット出力加工等の社内一貫生産体制の充実をはかり、インクジェットプリンター等の機械類は最新機種の導入を続けている。
2000年代に入り、表示面制作はもちろんのことサイン本体の制作から設置まで一貫して受注出来る体制に変化し現在に至る。